1945年5月17日17時,陸軍航空隊「誠第26飛行隊」自花蓮港基地出擊,一式戰鬥機(隼)6機起飛,前往沖繩慶良間列島東方海域,對美軍艦隊實施特攻攻擊。此役共有4機未歸還
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一式戰鬥機-稱「隼」(Hayabusa)Ki-43,是第二次世界大戰期間由中島飛機(現為速霸陸的前身)為日本帝國陸軍開發的主力戰鬥機/日本陸軍在二戰中產量最大的戰鬥機,總產量約 5,919 架,在所有日本戰機中僅次於海軍的「零式艦載戰鬥機」。
1945年5月17日17時,陸軍航空隊「誠第26飛行隊」自花蓮港基地出擊,一式戰鬥機(隼)6機起飛,前往沖繩慶良間列島東方海域,對美軍艦隊實施特攻攻擊。此役共有4機未歸還。
未歸還者如下:
- 少尉 稻葉久光(靜岡縣)
- 少尉 今野靜(宮城縣)
- 少尉 白石忠夫(富山縣)
- 少尉 辻俊作(東京都)
當時沖繩戰役已進入激烈階段,日本陸海軍航空部隊自臺灣、九州與南西諸島各基地頻繁發動特攻作戰。花蓮港(今花蓮)因其位於臺灣東岸、接近琉球戰場,成為陸軍航空隊重要前進基地之一。
「誠」為陸軍特攻部隊常見命名系統之一,誠第26飛行隊屬陸軍航空特攻編成。一式戰鬥機原本是陸軍主力戰鬥機,但至戰爭末期,也大量被投入特攻任務。
ご提示いただいたデータは、太平洋戦争末期の沖縄戦(菊水七号作戦期間中)において、花蓮港(台湾)から出撃した陸軍特別攻撃隊「誠第26飛行隊」(一式戦闘機「隼」を使用)の切なくも貴重な歴史的記録ですね。
この出撃に関する歴史的背景や、記録の補足・詳細を以下に整理しました。
誠第26飛行隊の概要と出撃背景
誠第26飛行隊は、大刀洗(福岡)などで編成・訓練された後、台湾へ進出し、沖縄周辺の連合国軍艦船に対する特攻作戦(航空特攻)に投入されました。
出撃日時: 1945年(昭和20年)5月17日 17:00
出撃基地: 台湾・花蓮港飛行場
使用機首: 一式戦闘機「隼」 6機
突入目標: 沖縄・慶良間(けらま)諸島東方の米艦船群
結果: 4機未帰還(特攻敢行・戦死)
散華された四人の若きパイロット(特攻隊員)
ご提示いただいたリストにある4名の少尉(戦死後二階級特進などのケースが多いですが、当時の階級または少尉候補生・特別操縦見習士官などからの任官)は、この日帰らぬ人となりました。
| 氏名 | 階級 | 出身地 | 備考 |
| 稲葉 久光 | 少尉 | 静岡県 | 花蓮港より出撃、慶良間東方にて戦死 |
| 今野 静 | 少尉 | 宮城県 | 花蓮港より出撃、慶良間東方にて戦死 |
| 白石 忠夫 | 少尉 | 富山県 | 花蓮港より出撃、慶良間東方にて戦死 |
| 辻 俊作 | 少尉 | 東京都 | 花蓮港より出撃、慶良間東方にて戦死 |
6機出撃・4機未帰還の背景
出撃した6機のうち4機が未帰還(特攻隊員として戦死)となり、残り2機については、機体不調による引き返し(不時着)や、悪天候・誘導不全などによる中途帰投であったと考えられます。当時の特攻作戦では、エンジンの不調や天候不良によってやむを得ず基地に戻るケースもしばしば見られました。
台湾・花蓮港飛行場からの特攻
沖縄戦において、台湾は九州(知覧や万世など)と並ぶ重要な特攻作戦の出撃拠点でした。特に台湾東海岸にある花蓮港飛行場や、宜蘭、新竹、台中などの基地から、多くの陸海軍特攻機が沖縄・慶良間沖を目指して飛び立ちました。
花蓮港から沖縄(慶良間沖)までは、直線距離で約 $500 \text{ km}$ から $600 \text{ km}$ ほどあります。「隼」の航続距離をもってしても、重い爆弾(通常 $250 \text{ kg}$ 爆弾など)を搭載して敵の防空網を掻い潜りながらの飛行は、精神的にも肉体的にも極限の任務であったことが想像されます。
歴史の記憶として
このような具体的な日付、時間、部隊名、そして隊員の方々のお名前と出身地の記録は、戦後80年以上が経過した今、当時の若者たちがどのような状況で命を捧げたのかを現代に伝える極めて重要な歴史の断片です。
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